不思議さん
某人気小説の主人公が必ず言う一言がある。「世の中不思議なことなど無いのですよ」
この小説の舞台は、終戦直後の日本。主人公たちは猟奇殺人事件や怪奇事件に巻き込まれ、その謎を解き明かしていくミステリー小説である。
私も三十五歳になって思うのは、確かに不思議な事って減ったよなあとおもうし、減りすぎてると思う。昔はいろいろ超能力番組や怪奇現象検証番組、UFO特集番組など沢山あった。その他 人面犬や口裂け女、トイレの花子さんなどいろんな不思議があった。今はどうなのか? 無い 上に記したようなお化け妖怪のたぐいは完全に忘れ去られている。今 宇宙人などいない なんて言ったら馬鹿にされるくらい宇宙の研究に力が注がれている。「世の中不思議な事なんて無い」とは本当だとつくづく思い知らされる。
ただ 不思議な事がない。 世界は実に恐ろしいことだと最近わかった。不思議なことのない=間違いが許されない世界になってきたという事である。
例えば昔は大学に行く人は他の人と比べて頭のいい人が行った。頭がよい=間違いの少ない人だった。そういう人がよく勉強してえらい人になって、会社や国を動かすようになっていた。
だが大学でなくとも勉強という物は疑問を持って 知りたい。 ともう事によって成立するのであんまり生きていくことに疑問を抱かないひとはアホとされていた。今はクレバーな人もそうでない人も知りたいと思ったらすぐ答えが出てくる時代である。勉強もクソもない。知識のカンニングである。吃驚するのがピタゴラスの定理もやたらブタクサイスープと山のように盛られたモヤシののったラーメン屋の情報もアインシュタインの相対性理論もやすいピンサロの情報もすべて同列で調べることが出来る。学校なんてもういらないのである。どうやって知ればいいのかググればいいのである。何でも答えてくれて情報精度も高い。使えば間違いなく答えてくれる。なので世の中ホントのことで溢れかえり、全くゆとりが無く、嘘をヒトつつくにも散々インターネッツで言質を取りそれが本当に嘘で通用するかをまたググってしらべ出来上がった嘘の精度たるやフランクミューラーの時計と変わらぬ位の精巧性である。ただそんな苦労して嘘つく必要もないのだがなんか息ぐるしく感じてしまうのである。
私は元々嘘話。与太話が好きですぐがんがんぶっこいてしまうのだが、あいてに「まさかググらないよね?」と少し不安を覚えるようになり最近めっきり人としゃべらなくなってしまった。ググれば嘘の証拠が出てきてしまうからだ。便利になったけどどうも息苦しいなと最近思う。じゃあ今からうそつきまーす。うんこの味は苦い。ぐぐってみて。