君の笑顔がみたいから
私は毎日読書している。最低でも一日一冊は読む。
先日ヘルパーの橋本君から「変如さんは笑える本は、読まないんですか?コメディの方が面白いんじゃないですか?いつもひょっとこみたいな顔しくさって、あなたの顔が面白すぎて仕事になりません。迷惑なんだよゴミクズヤロウ」と言われてしまい返答に困って「そうですね。すいません。」と無粋な百姓のように答えてしまったのである。誰が百姓じゃあほんだら。確かに私は読書をするが「大笑い」しながら読んだことはない。
こと読書に関しては感情の爆発である「笑い」という物が欠落している事に気がついたのである。
私は、20代の頃100人近くの爺様、バアサマを会場に集めて朝昼晩説教を垂れ、高額な健康食品を売る催眠商法のジャーマネをやっていた。今日説教する内容は、前日、前々日にシナリオを作っておきお客さんの反応を見て増やしたり減らしたりしていた。その中でも一番作るのが難しいのは「笑い話」である。泣きな話や怒り話はいくらでも作れるのである。簡単に言うと大病患って死んだらなき話、事故で死んだら怒り話でありそんなありきたりな物は目をつぶってても情報がはいってくるので馬鹿でも作れる。なので水戸黄門のように「病気や事故で死なないようにサプリメント買えバカども」とやるのである。
しかし肝心の印籠がなくてはただの縮緬問屋の隠居の爺で一番大事なのはお客さんを和ます「笑い話」である。「笑い話」がなくなるとお客さんかが飽きてしまい、泣かせ所で失笑が漏れたり、話の重力に負けて店を出ていったりしてしまう。なので必ず「笑い話」をぶち込まないといけないのだが、一つの「笑い話」をでっち上げるのに泣かせ怒りの十倍ほどの頭脳のコストがかかってくる。作る法はかなり苦しい。下手すると一つの「笑い話」を仕掛けるのに一時間ほどぶつぶつ話していて最後の最後に笑い話でひっくり返すような「話術のマジシャン」みたいなヒトも出てくる。なのでジャーマネは日々頭の芯からぎゅうぎゅうと締め上げて一滴の笑い話のエッセンスを取り出すため一日中うんうんうなりながら考えるのである。なのでだいたい催眠商法の責任者は長生きできない。「笑い話」に縛られスランプに陥りそのままうつ病になっていなくなってしまう。あの業界の立つ鳥の巣の汚さはゴミ屋敷クラスであり飛び立つのではなく鳥は墜落していくのである。それほど笑いは怖い。お笑いタレントなんてとてもコメディとはとおくのいちにいてとてもシリアスな日常に違いない。今はわざと失笑を買う「すべり芸人」なんてヒトがいるが私は、「たむけん」しか認めない。
なのでコメディはシリアスから生まれ出てくる。シリアスも突き詰めてみるとコメディに行き着いてしまう。
読書はどうであろうか?やっぱり大笑いは難しい。まずテレビや舞台と違って視覚に訴える映像、ギャグを聞き取る音声がない。文字と文法の一本勝負である。たがこれでは笑いの誇張、拡大ができない。大笑いは無理である。
その点漫画は「絵」という映像があり「キャラクター」という芸人がいる。ギャグも「絵」と「擬音」で小説異常に説得力がある。ただマンガでも映像化するとダメになることが多い。キムタクの宇宙戦艦ヤマトみたいなものでシリアスなストーリーがコメディになってしまって台無しである。
でも読書は読書で面白く「大笑い」はできないがコストが安い。それでいいんじゃないかな?と思った。ありがとう橋本君私がひょっとこなら君は痩せたカワウソみたいなかおしとるよ。うくく。