ファック泉
チャクベリーのおっさんが死んだ。チャクベリーは私にブルースとロックンロールという大切な魂を与えてくれ、なおかつ私をロッケンローラーとしての道を示してくれた神である。ただロッケンローラーになるには、酒を飲んだり、麻薬を吸ったり、レコードやCDを買ったり、ライブハウスに出入りしてはバンドの使いっぱしりをしたりしなければならず、まず銭がない、仕事がない、女にモテないのないないづくしであり最終的にこの「ないないづくし」を腕づくちからづくで何とかしてコましたれと思い友人のジャンキーとパンクスで「突穴野郎H-む」というふざけたバンドを組みチケットを捲き、箱も押さえ、フタをあけるとお客さまは5人。ヤケクソになった私は「ロールオーバーベートーベン」を歌いきった時点でやる気を全く失いお客さまと時間までおしゃべりして終わらせたのでありロックンロールはごっつい苦行である。そのせいで私は、精神をやみ、アル中になり、嫁さんに逃げられ、精神病院に入ることになったのはひとえにロッケンローラー。ロックンロールに導いたチャクベリーのせいである。最初にチャクベリーをみたのは高校生の時。そのとき私は、なぜかルイアームストロングにはまっていて、ジャストアジゴロや酒と薔薇の日々を聴いてウィスキーを飲んでふらふらするのが好きな嫌な学生だった。んでその日も横から借りてきた「真夏の夜のジャズ」という古いジャズのビデオをみていた。内容はただの異国の野外音楽上でルイアームストロングやアニタオデイなどがジャズを演奏するだけのシンプルな映画だった。そこに電気ギターを持った若い黒人が登場。演奏を始めた。「めーべりーんふぁっくいずみっちゅ」と歌い出し、エレキを鳴らし片足を床から少しだけはなしそのまま突き出し、尻を後方に引きプリプリさせながら前進と後退を繰り返す謎の黒人。その人がチャクベリーだった。しかしながらジャズの祭典にロックンロールできりコむというのは、仁義なき戦いでクラブでだべっているヤクザの組長をピストルで暗殺するようなモノであり、会場は案の定変な空気になっていた。チャクベリーはニヤニヤしていた。
私は「なんじゃいこれ。ファクイズミってav女優かい?」と思いその日はねたのだが、なんとなく気になってチャクベリーのおっさんのビデオやCDを買ってしまいその「ファック泉」は「メイベリン」という歌の歌詞であることに驚愕し、頭の中に描いていた「ファック泉」和服が似合い少し年増で陰毛がこい。というイメージをチャクベリーのにやにやした笑顔でぶち壊しにされてしまい全く迷惑したもんだった。ただチャクベリー自体は、ロックという曖昧な音楽の世界で確固たるロックンロールを最後まで楽しんでいた。音楽性が悪い意味で変わってしまう奴らの多いなかヘイルヘイルと楽しんでいた。うらやましいじいさんであり本当に感謝したい。天国いったら「念仏ロックンロール」を作ってなんとかの科学と言う宗教団体のいたこに憑依して欲しい。おもしろそうである。チャクベリー。