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酔っ払いと公衆便所

アカン吐きそうや

平成の隠れきりしたん

私は一応東京生まれである。杉並区荻窪西友駅前から白山神社を抜けて15分位歩いたところに私の生家がある。三歳のとき父の実家である茨城県結城市という町に引っ越すまで東京で育ったのだが高校を卒業するまでこの「第2の故郷結城市」が嫌いだった。今でこそまあまあスーパーができたり国道が通ったり、パチンコ屋ができたり地方都市の形を整えつつあるが私の子供の頃は田圃、畑、用水路と田舎の名物三拍子そろっていて、それ以外はなにもない。プラモ屋も本屋もデパートメントなんて夢のまた夢。なので母親はあまりのなにもなさに発狂しノイローゼで入院し私はしばらく祖母にそだてられた。なので生まれ落ちた東京の血が騒ぎある程度大きくなったときよく東京に遊びに行った。

とくにおおかったのは赤羽と新宿で乗り換えて原宿竹下通りによく行っていた。電車を降りるとヒト、ヒト、ヒトトンでもない人口密度である。店もたくさんあって 洋服屋 タトゥー屋 マック屋 ロッテリア屋 コムサデモード屋 ミルクボーイ屋 スーパーラバーズ屋 ロンドンブーツ屋 ケバブ屋 チェロス屋 クレープ屋 ドメブラ屋 ゴスロリ屋 宝石屋 アイスクリーム屋 レコード屋 古着屋 などが軒を連ねていて私も含めて人々は洋服や飯を買って炉端で食うので道は吸い殻やゴミが散乱しており救世主を待つ世紀末的状態の街だった。で竹下通りと呼ばれる道を半分くらいすぎると外に鋲の沢山ついた革ジャンが置いてある「パンク屋」があった。

その店は黒人の客引きを使っていて「オニサンヨテテ」と声をかけてくるのだが、友人によるとその黒人は「田舎物を判別する特殊能力」を持っていて「パンク屋」に引っ張りコまれるのは田舎物だけである。といっていた。私はそんなことあるまいと黒人の前を堂々と歩んでいくと速攻で「パンク屋」に引っ張り込まれ必要のないTシャツや皮の指ぬきグローブなどかわされてしまい泣く泣く店を出たのだった。その後 ラグタグやラフォーレ原宿で買い物し竹下通りを駅に歩いたのだがまた「パンク屋」の黒人がいて「オニサンヨテテ」と言うのである。 二度目である。そして私はまた引っ張り込まれ、ブルドックがつけてるような首輪を購入しトボトボ田舎に帰ったのだった。

ここでいえるのはあの黒人は、一瞬にして私が茨城県結城市と言う乾燥した芋とかんぴょうくらいしか特産のないボケナスな田舎出身者だと超能力で見破ったのである。このときほど私は「生まれは荻窪 上荻の二丁目酒屋の隣だ」と叫びたかったことはなく、その後も何度も竹下通りにいき黒人と勝負。で「パンク屋」。要らない物を買うということを五年間続けもう黒人とも顔見知りになってしまったのである。ちなみに黒人から呼ばれたあだ名は「シドのアンチャン」である。

であるとき黒人の情報をくれた友人にあってその後の事を話した。すると友人は「あの黒人はダサい服きてる奴に声かけてんだよ」というではないか?私はとても安心し竹下通りにはもう二度と行かないことを決めたのでした。アヒャヒャ
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