酔っ払いと公衆便所

アカン吐きそうや

履き物エレジー

私はスニーカーが嫌いである。なので今もまんぞくなスニーカーを持っておらず、もっぱらジョージコックスのラバーソールかポールスミスのブーツを履いて日々過ごしている。なぜスニーカーが嫌いになってしまったかというと、私は十二歳まで靴ひもをむすべず大変屈辱的な目にあったため今でも目の敵のようにしてしまっているのです。記憶をたどると最初に履いた靴は小児のころ歩くと変な音がするズックを履いていた。その後保育園にあがるとドラえもんトランスフォーマーの絵が書かれたズックを履き、年長さんになったあたりでマジックテープの運動靴を履いた。確か靴底にいぼがついており舶来品でPUMAという靴だったと思う。この運動靴は大変実用的であり滑り台を逆から上ったり、探険していて出くわす悪路を走破するときに大変役に立った。しかし子供はアホなので水溜まりや用水路にへーきで足を突っ込むため運動靴はいつもベショベョで、水をたっぷり吸ったこんにゃくみたいな運動靴をギュミギュミいわせながら家に帰り、両親にこっぴどくしかられるのがスニーカーの風物詩であった。で、ときは流れ小学三年生あたりになるとクラスメートたちは「チョウチョ結び」を会得し始めだんだん「ひも靴」をはくようになりマジックテープが廃れていった。なかでも人気だったのは白色でつま先部分がスウェードになっているひも靴で、皆そのシャレオツなひも靴をはこうと躍起になってチョウチョ結びを体得使用としていた。私はいくらやっても「方結び」よくて「そうしき結び」になってしまい早々にひも靴戦争より落ちこぼれ、伝説といえるボロさの「ジャガーシグマ」をはかねばならずマジックテープだけでも恥ずかしいのにこのジャガシときたらとんでもないポンコツで「蒸れる、破れる、すぐ黄ばむ」の三重苦。ヤクザ運動靴だった。
このためひも靴派からはいつも嘲られ疎んじられ恥辱の日々をジャガシ派は送らなければならなかった。このジャガシ派も学年があがる事にひも靴派に転向、改宗する者が出てきて小学六年生になるとジャガシ派なのは私のみになってしまいこれではジャガシ派でなくジャガシである。そんな人としての進化を二段階も遅れてる私に焦りを覚えたのか両親が必死にチョウチョ結びを教えなんとかジャガシと小学校を卒業でき中学校ではもうひも靴は廃れておりバスケットシューズ「バッシュ」が流行っていた。特に「エアマックス」という者が人気で、闇市では一足50から60万円で取り引きされて都では「マックス狩り」といって鉈で足首を打った切りエアマックスを奪うという、ソマリア人真っ青の無頼の徒による蛮行が行われており「エアマックスなんて物騒なものはけん。ナンマンダブナンマンダブ」とステップを踏んでいると酔っ払った父が帰ってきて私の前に靴箱を出し「エアマックス買ってきたぞ」といったのだった。次の日「足首ぶったぎられたらかなわん」とビクビクしながらエアマックスを履いて登校した。そしてクラスメイトから嘲笑された。私のエアマックスは「ジョイウォーク」と書かれた真っ赤な偽物「偽マックス」だったのだ。それ以来スニーカーは履かないようにしている。f:id:akinobu0227572905:20170325110142j:plain