酔っ払いと公衆便所

アカン吐きそうや

そーじ


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私は掃除が嫌いである。こんなこというと 周りの人から「キタナーイ」「ありえなーい」「シンでー」などのそしりを受けるが、それを聞いて「こりゃいかん掃除せねば。」とちくともおもえないのが、掃除が特に無駄な行為であることが身にしみてわかっているからである。まず部屋をキレーにしましょうおずと掃除機片手に始めようとする。すると陽光に照らされた埃がキラキラ光っていて「今そーじきかけてもいずれこの空気中の埃が部屋全体にまいおちるのだろうな」と考えてしまい、世の無常を感じてやめてしまう。特に畜生などかっているとその毛が埃と同じくらい舞い落ちてくる。非難しようにも私自身も髪の毛やちん毛など散らしているので一方的に抗議できず、まあいっかといって放置する。そのままにする。なので掃除が嫌いなのは終わりが見えないからで、一日中空気中に舞っている埃や陰毛を掃除機で踊り狂いながら吸い込んでいたら多分今以上頭が狂うのでやらないことにしている。

また「あるべくモノがあるべくトコロにないと困りませんか?」と哲学的なことを云う人もいるが、まず神は光あれといって7日間で世界を作り、神ににせて人を作った。なのであるべき者は私であってあるべく所とは私のいる場所である。めくらの羊にはそれがわからないらしく眼鏡やリモコンなどなくなると困るという。愚かなことである。眼鏡もリモコンも外に出さねば家の中にあり、どんなあり得ない場所で見つかっても特に不便ではない。でもちょっと不便だったのは「るろうに剣心」の7巻が部屋からなくなってしまい大慌てで探したところ仏壇の線香だての上に乗っていてその後読了し八巻も読めたので漫画は部屋で読もうというところで決着をつけ解決したのである。人のいいたいことはよくわかる。あるべき場所にあるべき物がないと不便なんだろうと思うのだけれども、道端の石ころだって転がれば移動するし一日中家の中の物を監視していてはおちおちモンハンや昼寝もできないのである。リモコンなど無くしてもテレビなんてみねーでいいし、観るならダイレクトにテレビのボタン押せば良い。そのテレビすら買って五年「入力切り替え」しか使ってない不要である。お客さんきたらどうするの?うちは宗教の勧誘とデリのお姉さんしかこないから安心である。