酔っ払いと公衆便所

アカン吐きそうや

自由っているか?

人間は自由の刑に処されている ある高名な哲学者が言った言葉である。自由とは良いことなのだろうか?昔自由帳という何でも書いていいノートがあった。

授業で先生が何でも自由に書きなさいといったが、私は真っ白なノートをみて愕然としてしまいそのままなにも書かずに提出した。なにを書いていいのか解らなかったのだ。皆はガンダム仮面ライダーを買いていたが私は選択の自由の幅が広すぎて頭がパンクしたのである。選べない。今なら「右カーブ左カーブ真ん中とおってストライク」と微細に女性器を描くなどウイットに富んだ冗談を言えるようになったが昔。今でも自由は苦手である。そんなゆとりがない。なので自由というのは行動の自由と精神の自由、金儲けの自由と恋愛の自由。食い物の自由と趣味の自由。数え切れないほどあって人間はつぶさにソレをもぎっとってくうことができる。しかし甘いか酸っぱいかは選んだ人の責任なのでそれに関しては誰もかばってくれない。しかもすべての人が自ら進んで選んでいるわけではなくキャバクラにしてもピンサロにしても機れーなちゃんねーを目指していった配意がとんでもない人が出てきたり、一発6000円でゴム付きフェラのみのドウショウもない店に行くのも流された自分のせいであって、しかし毎日くんくんに気を張ってるとそれだけで脳を煩う可能性があるのである程度息抜きする自由があるのである。ただ自由とは究極の自己責任である。選ぶまでは個人で選べるがそのあとは誰も知ったこっちゃ無い。ボッタくりにあっても性病もらってもみんな知らないのである。なので人は胸を張って自由サイコーといえる人は失敗をおそれず。ぼったくられても泣き言言わず、性病もらって鼻がもげてもがっはっはと笑える人である。だが恐ろしいのは大半の人が自己責任と言うことを忘れて自由サイコーと言っていることである。たとえば日本はきちんとした民主国家なのだが長年与党でヤってきた政党が数年前に一度転覆した。でそのとき政権を執ったのは政権運用の素人政党である。この政党は数々の自由を安売りしようとしたがことごとく失敗。失業者はがんがんに増え原発まで爆発させトラストミーで終わったのである。しかも誰も責任とらなかったのである。以前の政党が与党に戻ったがいいとも悪いともいえないソレが政治である。貧乏人が苦しかったら金持ちが儲かる。シーソーゲームである。ただトラストミーと違うのは、私に任せとけば悪いようにしませんと言っていてあるていど実現しているのである。

自由の方向性をある程度示してあげれば人はあまり迷わないと思う。間違いは起きるけど。

自由とはなにが正しいのか解らないのに好きにしろと放り出された不安定なものである。 全くその通りだなと思った。
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