酔っ払いと公衆便所

アカン吐きそうや

それいけじゃんけんパーティー

酒を飲むようになったのは16の時、友人宅に出かけたときや家出したときに飲んでいた。だいたい2週間に一回。多量でも少量でもなく子供の遊び程度の量だった。ほほえましい青春時代である。

今思うとと18くらいまでは飲む頻度も酒量もあまり変わらなかったが、アルコール依存症の扉が完全に開いたのは介護福祉士の専門学校の入学コンパの際行ったゲームのせいである。コンパといっても男5人で行った「JINROアンドブラックニッカチャンポンカクテル一気のみそれ逝けじゃんけんパーティー」のことである。この逝かしたパーティーは、焼酎の最低辺のJINROとウヰスキーの最低辺であるブラックニッカを5:5でカクテルしたモノを5人でじゃんけんして負けたアホが一気飲みするというクールかつ死の臭いがぷんぷんと臭うゲームだった。

開始一時間もするとみんなべろべろで誰がじゃんけんしているのか曖昧になってもうじゃんけんもせずそのデストロイなドリンクをドランクしているモノもいた。私です。

ウヰスキーなんてモノは確かにようのだが日本酒やワインと違いいっていきかん大量に飲むと酔いが脳味噌に伝わるのにタイムラグがおこり「ああいい感じだな」と思って飲んでるといきなりがつんと頭を割られるように落ちるのである。アル中業界で言うところのブラックアウトである。しかも安酒と安酒をあわせた最悪のフュージョンドリンクである。私は5杯目で完全に脳味噌を持って行かれ意識を失った。そのままひっくり返って泡を吹き始めた私を心優しい友人は風呂場に連れていき冷水をぶっかけた友人曰く 目がさめると思った。 とのこと。私は意識を失ったまま泡を吹き低体温による体の痙攣血圧の低下などでかなりやばかったと救急車を呼んでくれた友人が逝っていた。お医者さんからかなり怒られたそうである。持つべきモノは友達だなとはいっさい思わなかった。 しかも救急車に乗せられたときの私はぜんらだったらしく学校の寮で飲んでいた手前寮の女の子が私の全裸を目撃。一屋にして私の一番の秘密であるところが見られてしまったのだ。仮性包茎を。翌日には私が仮性包茎を長く患っていることがクラスメイツに知られてしまいハンセン病患者の差別クラスのひどい迫害を受けた。しかも付き添ってくれた友人以外の三人はよった勢いで女子寮に突撃。片っ端からレイプ未遂を行った。どんだけ酒に強いんだよ。その後の学校生活はダークマターよりも暗かった。

退院後私はもう酒は飲むまいとちかったのだが三日後ぐらいにどうしょーも無くウヰスキーが飲みたくなってしまい、飲んだ。おいしかった。そっからは毎日ウヰスキー一本生活である。酒量は以前の四倍ほどに増えた。32歳でアルコール依存症と診断されるまで365日休まず飲んだ。最後のほうは幻覚と幻聴でよくわからなくなっていたけれども良くもまあ体が持ったなあと思う。脳は駄目になったけど。
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