酔っ払いと公衆便所

アカン吐きそうや

ザ 無用者

今年で三十五歳になってしまった。おめでとー ありがとーっていっても誰も祝ってくれるわけでもないし、たいしてうれしくもない。 歳をとったなぁなんて感じることもなく、ただ流れ着いたような感じである。

振り返ると世間様にたいして釘一本米一粒作るわけでもなく、口先三寸嘘八百でここまできてしまい 「好きでやってきた道やから末路哀れは覚悟の上やで」と逝ってみても別に好きで釘や米を作らなかったわけではなく、そのときの流れというかヴァイブス?みたいな?モノに流されて江ノ島。で。ここまで来てどうも私は堅実な仕事はあっておらず、半イリーガルな感じのほうが長続きするようで、でも堅気な仕事もイリーガルな仕事も辞めるときは満身創痍で昔ドリフでヤっていた平家の落ち武者のようになってしまい入院。同い年くらいの人は家族も居て会社では役付きになっていてもおかしくない年齢である。私とナニが違うのかと言えば大きな違いは私は未来が見えてしまう病気なのである。

私は人から見た自分と自分からみた他人にとんでもないギャップがあり、他人からみた私の第一印象は まじめでいんてりじぇんすにとみ東大法学部を首席で卒業しており、優しくたばこなども吸わず、おしゃれで女性にたいそうもてると思われている。

完全に逆である。低学歴で大酒のみ、算数は二桁の足し算が限界で、八流高校を家出と非行で落第すれすれで何とか卒業し、セブンスターは一日フタハコすい女にもてたことのない凶状持ちである。何でそんな齟齬が生まれるかというと多分見た目でしょうね。

アホの歳とらず で私は実年齢よりも三歳から五歳若く見られる。顔つきも柔和で話し方もゆっくりしているのでいい人にとらえられてしまう。迷惑な話である。

なぜそれが未来が見える病気と関係するのかというと、人間関係においていい人と凶状持ちだったらどっちがいいかというと間違いなくいい人である。私は凶状持ちのくせにいい人を演じてしまう。なのでその結果が破綻することがわかってしまうのである。なので仕事するにも本能を押し殺して仕事をするから例えば前勤めていた眼鏡屋なんかでも「いらっしゃいまし今日はどんなお眼鏡お探しでおますか?」とヤれば角が立たないのだが、私の場合「ガキも坊主も集まれさらせエラい眼鏡の大安売りじゃ買え買えぼけなすひょっとこ。買わん奴はど突き倒すぞこらぁ」とやりたい。だから中間とって「眼鏡やすいよー今日最終日だよー」と水道橋のダフ屋のようになってしまうのである。

他人÷自分=社会性となるのだがそれが続けられずついつい地がでてしまい最終的に孤立してしまう。そのことが入社当日にわかってしまいいくら自分に言い聞かせても同じような結末になり落ち武者である。だから私は客観的に自分の失敗する未来が見えてしまい完全にやる気を失って敗北するで困ったなと思い屁をコくのです。
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