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酔っ払いと公衆便所

アカン吐きそうや

新小岩

哲学 エッセイ

人は必ず生きていると不安と向き合わなくてはいけない。この不安は漠然としていてしかもゆっくりじわじわ襲ってくる物もあれば、急に襲ってくる物もある。例えば高校卒業して就職しようか進学しようか不安になったり、一流企業で働いているがホントに俺はこんなことヤりたかったのか?疑ってみて不安になったり、毎朝小便をしに便所に行って己のチンポの皮がムケでいないことに不安を覚えたり。生きているといろいろな不安につきまとわれるのである。

この不安は 迷い という感情ににている。じゃあなぜそんなに迷うのかというと「生きてることを知らない」人が多いから何じゃないでしょうか?

私はよくテレビゲームをヤるのですが中でも冒険物のアールピージーが好きです。ただこのゲームヤっているといろいろ迷って不安になります。ダンジョンにはいれば迷い、ボスと戦うときに「こんな装備でダイジョブやろか?」「ポーション足りるやろか?」と不安になります。

しかしここに攻略本。や。攻略動画があればどうでしょう?迷いや不安は吹っ飛びますね。安心してクリアすることが出来ます。しかしここで攻略本擁護派の人と 攻略本なんてネタバレじゃん という懐疑派な人が出てくる。でもだいたいゲームなんだからどっちでもよくねという結論に達する事が多いですね。

ただ人生においてはいかがでしょう?人生に攻略動画はありませんなので、迷うに迷う太宰な人。一発勝負のピコタロウの人と二つに分かれます。が襲いかかってくる不安は平等です。しかし襲いかかる不安は少しでも少ない方がよいと、太宰な人もピコタロウの人も考えます。どちらも納得できる不動の物があれば迷わず不安にもならずいきられるのではないでしょうか?そんなものあるんかい?ある。あるらしい。あることは解っているのだがそこに至る道が見つかっていないそれが「真理」です。真理の定義は簡単で100人中100人 同じ物。 同じ感覚だ。と認識できる物です。

例えば、わたしがえらい哲学者でちんこの形をした岩を指さして 今日からこれが真理って事でよろしく。 といってちんこ岩が真理となりました。

しかし100人中100人がちんこ岩を真理だと思って、どんなときでも 私にはちんこ岩があるから。 と安心してくれればよいが一人でも 俺はまんこ岩のほうがいいなと思ってしまったらちんこ岩の真理はバベルの塔のように崩れてしまい、みんな不安になってしまうのである。

だから真理とは確信すれば人生の攻略本になるゴッツい物なのだ。哲学の先生たちはみんな毎日ちんこ岩をながめ ホントにこれはちんこ岩なのか?信用できるのか?と研究し論文を書いて学会に発表する。人々に伝える。ライフスタイルもちんこ岩に沿った物にする。毎日毎日ちんこ岩のことを考え抜き最終的に自分のうんこ食べて死ぬ。大変だなと思った。

そんなことを一日中考えてたらテレビにテツandトモが出ていてナンデダロウをやっていた。ヤってる事は音楽漫談なのだが私は思いだした。デカルト先生の コギトエルゴスム (我思うに我有り) これには続きがあって じゃあ私の目の前にある物はナンデダロウ である。テツandトモのナンデダロウは放ちっぱなしで帰ってこないでも安心してみれるネタである。何度でも笑える。以外に真理なんじゃねとおもいました。ちんこ岩。 

 
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