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酔っ払いと公衆便所

アカン吐きそうや

有言実行。不実行、

「いっちねんせーいになったーらいっちねんせーいになったーら友達100人できるかな~」という歌があったが、まず持って無理。私の行っていた小学校では一年生が1クラス35人のふたクラスだったため生徒数は70人である。まあ無茶な話だが権謀術数。みなに愛想振りまいて自分以外の69人の子供を手懐けてもあと31人も足りない。どうする?手っ取り早いのは上級生と仲良くなるのが一番早いが、向こうだって今さっき保育園をでたばっかりのひよっこの相手なんかしたくないだろう。じゃあ隣の学区の同級生を31人手懐ければOK!になるが、これは、金銭的、肉体的、規則的にむずかしい。まず人づきあいにはかねがかかる。1つ10円の駄菓子を100人におごれば1000円。月の小遣いが一日で吹き飛ぶ!なので無理である。で次に肉体的な問題。これは鬼がひとりの99人隠れん坊である見つけきれないし、統制が取れない、最後規則的な問題だが今は知らないが昔は学校から学区内から自転車ででちゃいけないというのがあった。あまり頻繁に規則違反してると外出禁止になった。なのでとてもじゃないが友達100人なんて無理である。

まあ友達はあくまでも量でなく質である。人間的な成長する事が目的の教育現場ではヒトとヒトが切磋琢磨して人間的な厚みを作ることが大事になってくる。かりに100人も友達がいたらその意地だけでとんでもない労苦がかかってしまいその子供の自我はどんどん引き延ばされSAGAMIの0.02コンドームより薄くなってしまいいずれ破けて自我が決壊発狂。その後は冴えないスクールエスケーパーとして生きていかなければならないのである。私はその事に子供の頃に気づいて立ち回った結果、高校卒業までに友人だったのはたったの3人。ひとりはアンパン中毒のプー太郎、もう一人はメタル中毒のプー太郎、最後はシャブ中毒の売人。である。こんな3人で切磋琢磨しても自分の空白が広がるばかりでちくとも成長しない。同級生がサッカーしてれば、我々は互いの陰毛をむしりあい。野球をしていれば、我々は下着ドロをする。カラオケをしていれば、我々は東北に伝わる猥歌を歌いがっはっはと酒を飲むクスリを打つ。駄目である。私はその後世間がイヤになり一人でいることが多くなった。だがこの一週間で私の友達は100人を突破した。TwitterFacebookなどのソーシャルネットサービスなどに登録したためだ。普通の主婦の方からイスラム過激派の人までいろんなヒトがいる。すごい。しかも私が何か言うと「いいね」といってくれる。この前「ちんちん」と書いてみたら「いいね」が3つ来た!友達はすごい。
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