酔っ払いと公衆便所

アカン吐きそうや

どや顔ブギー

どや顔とはまだ死語になっていないのだろうか?どや顔とは己が知力腕力によって相手をねじ伏せたとき、自然と顔が「どうやねん?」と小鼻を膨らませ、目をかっぴろげ、下唇を突き出しあたかも戦国時代のさぶらいのような顔になることである。このどや顔を多用すると必ず人から嫌われる。しかし日本にはこのどや顔を持って世間を渡ってきたのだろうなと思う人物が結構いる。

まず一休禅師である。この人は大変知恵の回る人で逆に回りすぎてお坊さんにもかかわらず肉を食べる、酒を飲む、女と遊ぶ、Benzにのる、ピアスを開ける、麻薬をすう、六本木をぶらついては暴走族のヘッドに土下座させすいがらのたくさんはいった灰皿にテキーラと呼ばれる南国の酒を注ぎそれを飲むよう強要したり、挙げ句の果てに部下の半外人にボコボコにされたり、お経を読みながらヒップホップしてリリックを決める、などの生臭ぶりで風呂にもろくに入らないので臭い坊さんだった。

ある正月一休禅師は暇だったので「ちっと京でもいってみっか」とふらふら出て行きたまたま通りかかった家屋に角松と「賀正」と書かれた正月飾りを見つけて「ここは地獄一里塚めでたくもありめでたくもなし」と言ってドヤァと笑った。京都ではその頃疫病が流行っていて命を落とす人が多かった。

今日七五三といって子供の成長を祝うのも昔は子供が満足に成長するなど奇跡に近く、「7つのこまでは神の内」といってだいたい7歳まで満足に成長すれば身体ができあがるから安心、そこまで成長する事ができるかどうかは、神様次第。なので3歳5歳7歳で「神様よろし頼んます」と願掛け他のが753の風習のようです。

一休禅師は子供の頃から頭が良く足利氏の将軍や家来の人から寵愛されぐんぐん出世したようで例えば一休さんが用事を頼まれてお城にゆくとお堀の橋に「このはしわたるべからず」とかいてあった。一休さん迷わずすすみお城に到着。するとお城の家来の人が「橋渡ったらあかんやんか」というと「真ん中通ったからええやん」と一休さんは物凄いドヤァとした顔したそうである。私だったら殴ってる。

なので一休禅師は「正月自体はめでたいが一生がまた一年死ぬのが早くなったってどうなん」と一休禅師は悟っているのである。待ったクソの通りである。

そのほかにも秀吉さんなんかもドヤの人でこの人も知力に富み織田さんの家来だったときも「敵くっから城造って」「ヘェ」「一日で造って」「はっ!??」「頼んだよできなかったら打ち首だから」といわれてしまい、城っぽくみえる張りぼてを敵の正面に配置。敵は「いちんちで城できとるやん」といって大混乱して敗走。これはかなりのドヤァである。晩年秀吉さんは知力よりも金力でドヤァをやるようになり、花見するにも家来をたくさんつれて大騒ぎ、自分の自宅件事務所である大阪城も金ずくで大要塞にしてしまい。秀吉のアバオアクーと呼ばれたりした。

ある時秀吉さんは「あっお茶やろ」と思い、茶道家千利休に師事してイロイロ教えてもらったのだが千利休はどちらかと言うと地味なスタバ派。秀吉さんは派手なコメダコーヒー派。利休さんがキャラメルフラペチーノとベーグルを食べていたなら秀吉さんは、カツサンドとホットケーキ、モーニングの柿の種は持ち帰る。そんな二人がうまくイくはずなく利休は毎日カツサンドを差し入れてくる秀吉さんに嫌気がさしてしまい自刃してしまったのである。どや顔は難しい。
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