酔っ払いと公衆便所

アカン吐きそうや

ヤリチンと童貞の隙間

先日ヘルパーの橋本君と男女交際について短く話したのだが「変如さんてどんなオンナの子がすきなんですか」ときかれたので「私は女にもてないのでやらせてくれればどんな人でも良い」と答えると橋本君は「それじゃただのヤリチンになっちゃいますよー」といわれて、私はとんだ誤解を産んでしまったと悔やんだ。私は女にもてない。事実である。齡30のトキまで女性恐怖症でマトモに女性としゃべった事もなく、奇跡的に夫婦(何で結婚できたのだろう)となった女性ともすさんだ家族生活だったし、離婚下後も節目節目で現れる女性に関しては、二年に一度、三年に一度目の前を通り過ぎていく小魚を待ちに待つ深海魚のような気持ちで補食していたのであり、いわゆるもてている人たちヤリチンといわれる人たちは、補食のチャンスが沢山あり鰯の大群に鼻っつらを突っ込みメチャクチャに喰漁るサメのような人である。私といえば暗い深海でよくわからない提灯をブラブラさせている不細工なアンコウである。目の前に餌がうろうろしてれば必ず食いつき漁師の人に釣り上げられて、吊し切り。全く捨てる所がないねって食べられてしまう海の珍味である。

んで橋本君と私の違いは大きく分けると「童貞か非童貞」かの違いしかなく私はおろかなことに最低なことを口走ってしまったのだ。「童貞捨てれば」やってしまった。これはいけない。童貞とは捨てるものではなく守るものでその発想力、想像力、行動力は常人を遙かに越えるものであり年を重ねるごとに古酒のように味や香りが良くなるものだ。私は自分の愚かな発言を後悔し責任をとるため切腹をしようと刃物を探したがなにぶん場所が浴場立ったため太刀や匕首などがない、困ったなあと頭をかいていると橋本君が「俺オンナに興味ないんで」と言ってきたのだ。これはいけない。十代なら解る。橋本君君三十だろ。童貞の発想力、行動力、想像力は「オンナにモテたい、オンナとやりたい」と思い実践、工夫する事により良きにせよ悪しきにせよものすごいパワーを発揮するものであり「いつか俺は」と刀を研ぎ澄ましその心の刀は名刀あるいは妖刀に変化するのである。なので正しい童貞とは最後まであきらめない事が大事であるのだが橋本君の名刀カネサダはおれかけている。これはいかん!しかし渡しにはなにもできない。何せ俺は患者だ!私は言った「フーゾクいきなよ」。最低である。私の心の童貞は年を重ねるごとに古酒ではなく酢になってしまったようだ。十年前だったらフーゾクイケなんて言わなかっただろうなぁ。



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